絵を目的でなく手段にしたい話

話題の「アライさんマンション」にちゃんと目を通した。

これはけものフレンズという作品を下地にしたホラー作品群で、今Twitterでは色んな人が、これをさらに下地にした話を作って楽しんでいる。

マンションのエレベーターは恐怖を掻き立てる多種多様な場所に繋がっている設定で、そこを探索するキャラクターや探索に使う道具など、色々考えるのが楽しい創作の場になっている。

 

あと、あの春ラジオ(社築のあの日に青春置いてきたラジオ)というVTuberがやっているラジオ動画の、「ジャ〇プ風ランダム最強キャラトーナメント」という企画で作られたキャラクターの立ち絵も今日Twitterで見た。

企画自体は「キャラクターを構成する要素を募集し、それをランダムに組み合わせて色んなキャラクターを作る」というものらしく、それの絵をリスナーが描いてTwitterに載せていた。

このラジオ企画に限らず、ネットでは時折こういったランダムキャラメイク遊びやら擬人化遊びやらといったムーブを見かける。

 

 

遊び道具の創造。

こんな風に自分が楽しめるものを自分で作れる・自分で作ったものだからコントロールできる、ということは自分にとって常に重要な課題だ。

 

自分は上手な絵を描けるようスキルを頑張って磨いているが、それは上手な絵を描くためではない。自分が何かを作りたいと思ったときに、少なくともそれを絵の形にはできるようになっておくためだ。上手な絵というのは手段であって、目的であってはいけない。

美術作品の価値は作品単体だけではなく、作品の持つテーマ性やつくるまでに至った背景なども含めたものであるように、上手な絵を純粋にそれ単体で楽しむのは自分含め殆どの人間にとって難しいことだ。

 

そんなことはないという人も、あくまで楽しんだ気になっているに過ぎない。

それは、写実的な絵画と比べて抽象画の良さが分からないという人が圧倒的に多いことからも分かる。モチーフやテーマといった分かりやすい要素という足掛かりがないとき、多くの人は絵を楽しめない。

透き通っているようと言えば聞こえは良いが。

 

 

逆に言えば、そういった性質の媒体だから 絵は本当に様々なものを乗せられるのかもしれない。