悪夢「ペットの小人への給餌を忘れる」

悪夢しか見ることのない自分の夢日記です

 

 

夕方頃、ペットをもらいに車を走らせている

1時間ほどで相手のマンションへ到着

メガネの大人しそうなおっさんが出てくる

 

今回は自分が本当に飼えるかお試しで貸し出しみたいな形だが、

「ぜひお譲りしたい」というその男は

内心もういらない・飼いたくないと思ってそうな感じだった

 

そして

渡されたのは人間の1/6ほどの背丈の小人だった

 

見た目は完全に20代の人間の女性(日本人)で、服も着ていて応答も普通の人間のようにできていた

恐らく染めたであそう明るい色の髪、

そこから漂う「人間っぽさ」が気持ち悪かった

 

 

そこから一人暮らしの自宅に戻り、ペットのことはすっかり忘れて暮らす

数日後、ペットの事を思い出した自分はあせる

どこへやったか思い出す

 

なんと過去の自分はその小人を、

膝を抱えるように小さくなってやっと入れるような小さなケージに入れて、戸棚の奥に入れていた

恨まれているかと思ったが案外ケロッとしていて安心した

ケージの隙間からパラパラ落とすようにして給餌を行っていた

 

 

そして数日後、今度はもっと間を置いてから給餌を行っていないことを思い出す

自分の責任感のなさと罪悪の念であせりながら戸棚を開けると、大量買いしたレトルトの箱がガタガタ揺れている

 

箱を退けると金属の留め具によって閉じられたツボが出てきた

過去の自分はこの中に小人を閉じ込めたらしい

 

ツボの内部は、

見た目は味噌のようだがそれとは違う、辛そうな刺激臭を放つ茶色のペースト状の謎の発酵食品で満たされており

そこに漬ける形で小人を入れていた

ことを思い出す

 

ツボの留め具を外すと大きな音を立てて発酵ガスが吹き出し、茶色のペーストが狭いキッチン中に飛散した

一言二言しか聞いていないが閉じ込められた小人は精神的に不安定になっていそうな話し方だった

 

 

その時点で自分はNintendo Switchの巻き戻し機能を使って現実世界を巻き戻した

 

吹き出したペーストがツボめがけて飛び込んでいき、爆ぜ飛んだツボのフタがカタリと閉まる

 

「もう飼えない 返そう」と思う

時間は深夜だったがもう1秒だって手元に置いておきたくはなかった

 

自分は部屋が汚れるのを嫌がってフタが爆ぜる前にゴミ袋を被せようとする

何回か巻き戻して成功。玄関に持っていく

 

「もう出るっ!」

「い、いまね、君の部屋を用意してるんだよ」

「もう出して!もう出して!」

「自分の部屋ほしいよねぇ?もう少しだけ我慢できたらあげる。そうじゃなかったらあげないよ?」

 

意味の分からん嘘で言いくるめて、ツボから無理やり出てきそうになってるのを堪えさせる

 

車の助手席にゴミ袋に包んだツボを乗せる

走行中ずっと、この気持ち悪く居心地の悪いもののそばにいるのがたまらなく嫌だった

真夜中の暗い道を1時間掛けて走る

 

明らかに返却しにいってるのが小人にバレてたと思う

何か言われたと思うが一杯一杯だったので分からない

 

 

元の飼い主のマンションへ着く

ドアの前にツボを置いて逃げようと思ったが凍死されると困るので呼び鈴を鳴らす

 

男は小人の返却を渋るだろう

男は深夜の来訪を咎めるだろう

男はツボに漬けた小人を見て激しく怒るだろう

 

 

頭の中がそういうことでぐるぐるになったところで夢から醒めた

 

 

おしまい

無意味な英数字で画像検索する

f:id:HoshiMark:20230129195147j:image無意味な英数字で画像検索すると、次々に無意味なものが出てくる。

そのゴチャつき加減が良くて、ずっとスクロールして見ていた。

f:id:HoshiMark:20230129195155j:imagef:id:HoshiMark:20230129195207j:imagef:id:HoshiMark:20230129195215j:image

あとは「もし自分がここにいたら」と思いながら外国の廊下の画像を見て、

アウェイ感でお腹の奥がもぞもぞする感覚を味わっていた。f:id:HoshiMark:20230129195325j:imagef:id:HoshiMark:20230129195337j:imagef:id:HoshiMark:20230129195350j:imagef:id:HoshiMark:20230129195404j:imagef:id:HoshiMark:20230129195418j:image
ここはどこなんだろう。分からない。

それが楽しい。

 

 

「廊下限定のテレポート能力」を扱った漫画とかあったら面白そう。f:id:HoshiMark:20230129200956j:image世界のどこか分からない廊下から廊下へ渡って生きる人の話。

お腹が空いたらパーティ会場っぽい所へ飛んで、その後は歯を磨きにホテルっぽい所を探して飛ぶ。

 

書いてて思ったけどこのお話はその能力者にフォーカスするより、能力者に興味をもってずっと追いかける人の視点で展開した方が面白そう。

 

おしまい

無題

優れた芸術家とはいいとこ探しが上手い奴のことを言うのだと思う。

 

皆が良いと言うものに「ダメ」やら「お粗末」と言っているようではまだ二流。"皆"の10倍は対象の良いところを言えてこそ真のアーティストだろう。

 

芸術家は人よりものの美点を多く知っているものである。

それは単に人より多く美しいものを見聞きしているというのもあるが、一番の理由はあらゆるものから美点を見出す力を養っているからだ。

 

ただ、美点を並べ立てた後に「まぁ個人的な好みを言うとキライだけど」と言うのは全然アリ。

図書館では満足に調べ物できないと思ってしまう理由が分かった

答えは「ネットのせい」だと思います。

ただしこれは、図書館よりネットのほうがすごいからというわけではありません。

情報が精査されており情報量もまとまっているという観点では図書館に分があると考えます。ではどういうことか?

 

ネットのない頃は、図書館の蔵書が入手できる知識の全てであったと思います。

対して現代は、ネットを利用するとより細分化したマイナーなものまで知れてしまいます。それこそ本にはならないようなものまで。

 

園芸趣味を例に出すと、ネット普及前は身の回りの園芸店でしか植物を入手できないし、図書館の本に載っているものまでしか知れません。

しかし現代ではネットでよりマイナーな植物を入手したり情報を集めることが可能となりました。

 

これが自分含め現代人に「図書館では調べものができない」という人がぽつぽついる理由なのではないでしょうか。

ネットの普及により、ついに人間の興味の幅は 図書館の蔵書を越えてしまったのです。

放置デロスペルマ ナピフォルメを鉢植えして8ヶ月 (2021年11月の記録)

屋外のプランターにまとめ植えして放置していたデロスペルマ ナピフォルメ(メストクレマ マクロリズム)を鉢植えしてから約8ヶ月経過しました。

屋内の明るい窓辺に置いて 塊根が成長するよう頻繁に水をやった結果、どのように変化したでしょうか?


f:id:HoshiMark:20211117065447j:imageまずこれが240日前の姿です。

そしてこれが現在の姿です。f:id:HoshiMark:20211117065925j:imageじゃーん。でろ〜ん。

奥の3つは写真を取る前に剪定してしまいましたが、なんだか長〜い姿に成長したのが分かると思います。


f:id:HoshiMark:20211117070649j:imagef:id:HoshiMark:20211117070658j:image(同じ株)
塊根も少し大きくなりました。


f:id:HoshiMark:20211117070759j:imagef:id:HoshiMark:20211117070820j:image見づらいですが肉割れのようになって塊根から緑の内部が覗いている株もあります。

 

今回はでろ〜んと間延びした姿になったデロスペルマ ナピフォルメたちを切り戻ししました。ネットで検索すると皆けっこう気軽に剪定して短めにしていたので、そういう楽しみ方をする植物なんだと思います。

 

<Tips:植物の切り戻し(剪定)について>

植物では茎や枝の上端の芽(頂芽)が、下に位置する葉脇の芽(脇芽)に優先して成長しようとします。
これは、頂芽の先端の成長点で生産されて基部方向に移動するオーキシンという物質が脇芽の成長を抑えるためです。このことを頂芽優勢といいます。
そこで、茎や枝の先端を摘芯(ピンチ)すると、成長点も除去されてオーキシンの供給が止まり、下部の脇芽が成長を開始します。
この性質を利用して、分枝を促進させて生長後の姿を整えます。
(参考元:https://www.suntory.co.jp/flower/gardening/howto/raise/point/kirimodoshi/)

 

まず、奥の3つから。f:id:HoshiMark:20211117071414j:imagef:id:HoshiMark:20211117071431j:image右奥の塊根がくねっとしたやつ。ずっとバランスが悪かったのですが、やっと根本近くに脇芽が出てくれました。


f:id:HoshiMark:20211117071514j:image真ん中のやつ。

 

f:id:HoshiMark:20211117071541j:image左奥のやつ。こいつは塊根が一番大きい。脇芽がぽこぽこ出ていてシルエットが面白いです。

 

続いて手前の2つ。f:id:HoshiMark:20211117072449j:imagef:id:HoshiMark:20211117072517j:image右手前のやつ。ここでようやく切り戻し前の写真を撮った。こんな風にひょろりとしていました。剪定で見た目がよくなるといいな。


f:id:HoshiMark:20211117072237j:imageそしてラストは左手前のやつ。こいつは脇芽が一番頼りない。二股の部分にある極小の脇芽の方は8ヶ月前から成長しないけど、これで大きくなったりするかな?

 

剪定が終わりました。f:id:HoshiMark:20211117073254j:image今は脇芽が小さく寂しい姿ですが、数ヶ月後には成長して見た目もよくなると思います。

最後にもう一度 8ヶ月前の写真と対比してみたいと思います。f:id:HoshiMark:20211117073517j:image(240日前の写真) こうしてみると幹が一回り太くなって少し立派になったのがよく分かります。感慨深い…。

 

それでは読んでくださってありがとうございました。

悪夢「戸棚のサブカル漫画」

今回の悪夢はまず長い学校編の夢を見た所から始まる。

そして学校の中で不条理的に嫌な目に遭う(ほぼ忘れたし割愛)。

帰ってきて課題をやりたがらない自分は、逃避にシンクの戸棚の下にある知らない雑誌を読む。


その雑誌はライターが自分の興味ない感じの漫画ばかり紹介するコーナーがあり、そこをバックナンバーでずっと読んでた。

面白くないが逃避でずっと読んでて、最後にしようと取ったものにそれは載ってた。

 

ジャンルはとにかくキショイ不条理生理的ホラーコメディ。絵柄は赤塚不二夫とか榎本俊二の感じで、大家族の漫画だった。

 

雑誌と一緒にシンクの戸棚に仕舞われていたので読める。

試しに読んでみると、興味もないし面白くもない おえ〜っとなる内容だったのに1時間も見てしまっていた。


起きてから急速に忘れてしまったので覚えてる箇所だけ。

 

 

脳すすり

絡まった脳をすすって口腔内で元の形に直す。

母が脳だけになってる。体は死んだ。

脳すすりの練習用として オロミツって分かる?と娘に尋ねる。 オロニュー糖で蜂蜜漬けした〇〇!常識でしょ もう


電話ぼそぼそ

間違い電話掛かってくる。始めはあんあん。それがだんだん喘ぎじゃなくなる。

最後〇〇だけいいですか?(歌だっけ)。それがめっちゃ気味悪い


飛ばし読み 物語中盤

不倫?したクズ父親を長男にそそのかされ三男が殺す。石で叩いたりして殺す。途中妹たちが手伝いたがるがトラウマになると思って追い返す。

父の死体に脳だけになってる母を入れて頭を潰すことで何か(アリバイ工作的なやつ)になると三男が母に提案。母もそれでいこうとなる。

 

人間肉食獣

肉食獣(ほぼ人間の姿・服を着た太った中年)から人間を見ると、武器持ってると驚異、持ってないと雑魚という学習漫画的な解説。

人間肉食獣が襲いかかってくる。鉄パイプの槍を突き刺すが向こうは銃を持っているのでバンバン撃たれる。


(一人称の場面だったが途中から自分視点の映像だった)

 

 

以上。

ちなみに現実の自分はそういう漫画を好んで読まないです。気持ち悪いのを悪趣味なコメディ的に扱うようなやつ。


自分のホラー観って匿名掲示板の生理的嫌悪系に引っ張られてるんだなと感じた。


あと自分は現実に則した夢ばかり見て面白くないのが嫌だったのですが、

漫画という媒体を介せば「脳すすり」みたいな荒唐無稽なタイプの夢を見るんだなというのは発見でした。

知識か感受性か、狂気か?

 タイトルを「野草で感動し やそう(ましょう)」にしてたけどやめました。えらい。

 

 センス・オブ・ワンダーってご存知ですか?何にでも興味を持てる心を育もうという考え方で、個人的には最もだけど洒落臭ぇなと思っています。

 感受性… 感受性のみを至上と設定するのがハツラツ☆LIFEなのか…?と時折考えていました。

 

 人の一生に投げかけられた哲学的問い、「生きる目的ってなんだ?人生を豊かにするものってなんだ?」

 これに個人的に答えが出ました。

 

 究極的には「大作映画などだけではなく、野草や路傍の石からも同じくらい感銘を受けられるようになること」なのでは?

 

 例えば歴史に名を残す作品を作る、といったような発信行為ではなく受信。極めて能動的な受動姿勢。

 あらゆる表現(発信)には感動(受信)という原動力が根底にあります。感動なくして表現あらず。やはり受信は大事なのでしょう。

 

 そしてそれに必要なもの、それが知識・感受性・狂気の3つなのではないか?という話です。

 人生において大切なものはこの3つなのではないか?と。

 

 知識は意識的に増やせる。感受性は知識(勉強)よりとっつきやすい。性質が自分に合っているものを会得していけばいいと思います。

 

 そして狂気。

 やっぱりその辺の石とか草見て感動~!って傍目には狂ってますからね。これも目的に至る一つの手段なのではと。

 人はみんな知識や感受性の欠片といった持ち物を半端に持っています。これを増やすのではなく全部捨てて空っぽにする。これが狂気です。

 

 いや難しそうすぎるな。とても狙って行えるものではないように感じる。

 狂うって、聡明になるのと同じくらい難しいのかもしれない。

 

 

 ところでこの考えって既にどこかの哲学者が提唱してたりするんですかね。

 前任者の研究を発展させていく他の学問と異なり、哲学は前提からひっくり返すちゃぶ台返しを頻繁に行うため 先行研究を参照しにくいという話を聞いたことがあります。

 辿れないくらい足跡が滅茶苦茶なんですね。

 

 加えて、もし仮にこれが人類初到達の境地であっても、このブログは日陰にあるため参照しにくいと思います。

 そうなると未来人も「わぁ!人生についての問いに答えが出たぞ!」っつって自分が初かもと喜ぶんですかね。

 

 それとも情報網が整備され、インターネットより高度なネットワークができることでこういうブログも参照できるようになるのかな。

 科学技術の発展は、哲学というどこか体温のあるものまでも発展させていくのかもしれない。

 

 おーい おーい!

 いえーい!未来人見てる~~~?

 

 ハ ツ ラ ツ ☆ L I F E !