タイトルを「野草で感動し やそう(ましょう)」にしてたけどやめました。えらい。
センス・オブ・ワンダーってご存知ですか?何にでも興味を持てる心を育もうという考え方で、個人的には最もだけど洒落臭ぇなと思っています。
感受性… 感受性のみを至上と設定するのがハツラツ☆LIFEなのか…?と時折考えていました。
人の一生に投げかけられた哲学的問い、「生きる目的ってなんだ?人生を豊かにするものってなんだ?」
これに個人的に答えが出ました。
究極的には「大作映画などだけではなく、野草や路傍の石からも同じくらい感銘を受けられるようになること」なのでは?
例えば歴史に名を残す作品を作る、といったような発信行為ではなく受信。極めて能動的な受動姿勢。
あらゆる表現(発信)には感動(受信)という原動力が根底にあります。感動なくして表現あらず。やはり受信は大事なのでしょう。
そしてそれに必要なもの、それが知識・感受性・狂気の3つなのではないか?という話です。
人生において大切なものはこの3つなのではないか?と。
知識は意識的に増やせる。感受性は知識(勉強)よりとっつきやすい。性質が自分に合っているものを会得していけばいいと思います。
そして狂気。
やっぱりその辺の石とか草見て感動~!って傍目には狂ってますからね。これも目的に至る一つの手段なのではと。
人はみんな知識や感受性の欠片といった持ち物を半端に持っています。これを増やすのではなく全部捨てて空っぽにする。これが狂気です。
いや難しそうすぎるな。とても狙って行えるものではないように感じる。
狂うって、聡明になるのと同じくらい難しいのかもしれない。
ところでこの考えって既にどこかの哲学者が提唱してたりするんですかね。
前任者の研究を発展させていく他の学問と異なり、哲学は前提からひっくり返すちゃぶ台返しを頻繁に行うため 先行研究を参照しにくいという話を聞いたことがあります。
辿れないくらい足跡が滅茶苦茶なんですね。
加えて、もし仮にこれが人類初到達の境地であっても、このブログは日陰にあるため参照しにくいと思います。
そうなると未来人も「わぁ!人生についての問いに答えが出たぞ!」っつって自分が初かもと喜ぶんですかね。
それとも情報網が整備され、インターネットより高度なネットワークができることでこういうブログも参照できるようになるのかな。
科学技術の発展は、哲学というどこか体温のあるものまでも発展させていくのかもしれない。
おーい おーい!
いえーい!未来人見てる~~~?
ハ ツ ラ ツ ☆ L I F E !