楽しいの正体。無人島生活の妄想でわくわくできなくなったとき、人は終わる

面白くてわくわくする。

副交感神経が働いて腹の底がもぞもぞする感覚。

ああいう状態にあるときだけ、人は生きていると言えるのだろう。

 

面白いってなんだ?「これが欲しい・あれがやりたい」を原動力に行動すること。そしてそれらを記録・編纂し、味わいやすいようコンテンツにすることだろう。

 

しかし、今の自分には物欲のようなものはなく、また何をやりたいとも思わない。何物にも食指が動かない。

なぜだ?それはおそらく「生活をしていないから」なのではないか。(詳細は省くが僕の行動様式は死人と大差がなく、それは生活しているとは言えない)

 

人は普通に暮らしているだけで、生活の中に様々な不便・不満が現れる。それは食材の皮むきや掃除しにくい箇所の埃など、ごく小さなものでいい。

そうしたものが商品の購買意欲や道具の制作意欲、知識欲に繋がっていく。楽しい行動を起こすための原動力となる。

 

これが「楽しい」を上手く享受するカラクリなのではないか。(あとで気付いたがこれは「必要は発明の母」と呼ばれている)

 

ぼんやり「無人島でサバイバルするのって面白そう」「少ない持ち物で一人暮らしをするのって楽しそう」と思ったことはないか。僕は常に思っている。

あれは恐らく、不便な環境に身を置くことによって発生する様々な問題と、それの解決の為に奔走する体験が欲しくて、そういったものの極致を心に描いているのだと思う。

 

 

僕と同じように何も楽しめなくなってしまって辛い思いをしている君、きっと我々は感性が鈍ったのではない。

小粒の楽しいを享受するためには人並みの生活を、大きな楽しいを享受するには大きな問題が必要なのだ。

 

とりあえず僕はだいぶ人並み以下なところから頑張ろうと思う。そもそも頑張るのが大小関係なく大嫌いなのでこんな風になっているのだが、この先の生活に楽しさはあるか一応確認だけしてくる。そんな感じで走る。

 

ちなみにそこに楽しさがなければ「なかったー!」と叫んで木端微塵になる。