朝動けなくなった日に仕事をやめた。
作業着をクリーニングに出して返すときに職場にある私物の筆記具を返すよう言ったが返って来なかった。
「ナメられている、クリーニングやめときゃよかったな」とか「口うるさく持って来いと催促されたせいで急遽持って行った、三日坊主の夢日記を書いたメモ帳だったのであれが残留してるのが嫌だ」とか、この辞めるときのやり取りだけでストレスが溜まる。
(追記:これを書いた次の日電話で聞いたら置き場に無いらしい。なんでだよ)
勤務中の細かいストレスまで数えだすと枚挙に暇がない。まあそれは労働してる人全員そうだと思う。
さて、次からは職場で話しかけられても全部「言いたない」で返して、相槌もやめようと考えていることを話したい。
どこ住んでるのとか、何で通勤してるのとか、名前覚えたかテストするとか、○○さんはこういう特徴があるとか、聞き取りにくいフガフガとか、メモ取れとか、飯食ったとか食わないのとか、免許持ってないのとか、なんでこんな仕事してるのとか
うるせぇわ。「円滑に仕事するためのコミュニケーションで聞いてやってるだけで本当に興味なんかない。こっちは話しかけてやってる」の声が聞こえてきてなおうるせぇわ。
こういうことに適切な返答をするためにいちいち脳のリソースを割いて真剣に聞いてしまうので脳が疲弊する。それなのにやってしまうのは自分なりの処世術だ。
だが考えてみると別にこれで処世などできていない。これではただの疲労の元ではないか。
もうやめよう。生活から疲れることを減らしていかないと気力が保たない。
「イータナイ」だ。これで全部かわせるはずだ。イイタクナイではないのは1音多いからだ。「スンマセッ チョッット…イイタクナイ デスネ…笑」など同じ意味でも角を立てない言い方はいくらでもある。だがそういう言葉の取捨選択・整形をするのは根本的には何も解決していない。
これからは「イータナイ」だ。相槌もすると会話量が増えるからやめるようにする。説明受けてるときすら言わないようにする。タイミングを図り疲れるからだ。
あとは関係ないけど職場で弁当も食わないようにする。ああいう周りが敵だらけな空間で飯を食うと食わないよりストレスでしんどくなるし、後半吐き気との戦いになりながら飯を飲み込む作業になるからだ。
粗食には慣れているし絶対食わない方が体力の温存になる。
一体何と戦っているのか。